(塗)へ至る道(c)青田切腹堂さん


大分トリニータが鳥日新聞上で、いかにして「大分トリニータ(塗)」に なっていったかをダイジェストで振り返るコーナーです。


大分トリニータ→大分トリニータ(改)
キャプテン、チェ・デシク選手の引退を知った鳥日新聞スーパーバイザーから出た言葉、「もうこのチームはトリニータではない!!」を聞いて感銘を受けた鳥日編集部。さっそくHP上で「今後、『これが新生トリニータだ!!』と感じるまで、トリニータ(改)と表記します!!」と高らかに宣言。意外に好評。

→大分トリニータ(改)インタークーラーターボ
伊豆のロドリゴさんの掲示板書き込み「再来年は大分トリニータ(改)RXその次は大分トリニータ(改)RX SECOND EDITIONになったりして。」を受け、鳥日編集部が「今後こうなる予定」と返答した時の名称。他にもトリニータ(改)ハイブリッド(経費50%カット)などの案があった。

→大分トリニータ(借)
2000年シーズンに向け、怒濤の補強を開始したフロント。前川、大木、シジクレイ、山口と、他のJ2サポからは「俺達を殺す気か!!」とも言われかねないチームへ変貌しようとしていた。ただ、そのほとんどの選手がレンタルだったため、この名前に。命名は伊豆のロドリゴさん。この頃から「新潟アルビレックス(空)」「ヴェルディ川崎(貸)」など、自虐的に自分のサポチームを呼ぶのが、号外掲示板でナウなヤングにややウケ。

→石崎建設(有)
「サッカー界で最も作業服が似合う男」こと石崎信弘監督の、チームへの影響力を端的に表した名称。五輪代表における「トルシェの子供達」のようなもの。石崎監督は東芝出身だから「石崎電気(有)」ではないか?との指摘も(kuchidaさん)。

→モンテディオ大分
鳥日新聞上でいろいろ言っている間にも、怒濤の補強はまだ続いていた。その結果、庄司、シジクレイ、若松、山崎、塩川(川崎Fに移籍)と元モンテディオ山形の選手達が大分に終結。なんつっても石崎監督自身が元モンテディオの監督という事もあり、この名称に。

→大分トリニータ(もう何がなんだか改)
あまりに異名を増やしすぎて、どう呼んでいいかわからなくなった鳥日編集部が言った一言。自分の発言に責任がもてない大人の見本。

→石崎組
鳥日新聞秘密会議@居酒屋において命名。理由は、シジクレイが麻薬の密売人顔だから。(あと、大木勉が網走から帰ってきたばかりの顔だから)(あと酔っぱらってたから)

そして「大分トリニータ(塗)」へ!!
怒濤の補強を支えていたのが、10億円とも言われる運営費だった事が判明。昨年の5億円が嘘のような金額。まさに「はらたいらに全部。さらに倍」といったクイズダービー最終問題さながらのギャンブルっぷり。それを影で支えてたのが、メインスポンサーのペイントハウスからの出資だった。おまけにペイントハウス社長、星野初太郎氏が大分FCの社長にまで就任。トリニータの名前の由来「三位一体」は「県民・行政・ペイントハウス」だった事がここにきて明らかに。これを受けて、特派員が命名。「ペイントハウス大分支店サッカー部」とも言う。