絶賛開催中のアジアカップ。その放送の中で「サッカーは世界を変える力があるから応援する」というようなCMをぶっているクオリティーペーパーさんが以下のような記事を書いて、ちょっと話題になっています。
そんな「12番目の選手」なら
http://www.asahi.com/sports/column/TKY200707110469.html
仮にあなたが、無類の映画ファンだとする。地元の映画館で「話題作」と言われる作品を勇んで見に行ったが、全くの期待はずれだったとしよう。
(略)
大人1枚1800円のチケット代を払った作品が、たとえつまらなかったとしても、見たいと思ったのはあなた自身だ。懲りたなら、もう劇場に足を運ばなければいい。
映画をサッカーに置き換えてみる。お金を払って観にいく、という興行と割り切れば、私はサッカーも同じだと思う。
声をからして応援したチームが、ひどい内容で負けて腹が立っても、それは予想しうる結果だ。ゲームの質や結果はともあれ、それをあなたは好んで見に行ったのだ。
しかし近頃、Jリーグの現場で目にするのは、一部の度を過ぎたサポーターの言動や行動だ。
という書き出しで、先日九石ドームで勃発したゴール裏座り込み事件とその後のサポーターカンファレンスでの行き過ぎた(とこの記者が考える)サポーターを糾弾する文章が続きます。
(略)
(サポカンは)立場をはき違えたサポーターの「ガス抜き」の場にもなったのは予想通りだった。
株主やスポンサーならまだしも、サポーターが直接、社長や強化部長に向けた声としては、度が過ぎている。まして、まだシーズン半分だ。
私が社長ならば、「なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないんだ」と思わずキレそうなところだ。
しかし、溝畑社長、原強化部長は深々と頭を下げた。どんなサポーターでも無碍に扱えない事情があるからだ。大分のホームゲームの昨年の入場収入は、約5憶2000万円。J1の平均約6憶9000万円を大きく下回る。入場収入は、次の年に強化費に直結する。
「大きな責任を感じています。ですが、皆さん見捨てずに応援していただければと思います」と原強化部長は声を絞り出した。
成績も経営もJ1でどん底にある地元チームを、ますます窮地に追い込むいいがかりで自己満足する。そんな「12番目の選手」ならいらない。
さもなくば、ぜひ心を入れ替えてもらいたい。
(原田亜紀夫)
大半の大分サポの素直な感想としては、まず
なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないんだかと思いますが、実は鳥日にはこの記事に同意見の部分もあるんですね。
それは
しかし、フロントの「つるし上げ」を生き甲斐にしているような、はき違えたサポーターも実際にはいる。頭を下げさせ、「どうだ、オレが言ってやった」とばかり、いい気になっている。
のはいかがなものか。という部分です。
これは「誰も負けようと思ってやってるわけじゃない。責任は感じてもらう必要はあるが、糾弾する前にこれからできることを建設的に考えていくべきだ」と思うからです。だから、辞めろとか、謝れ的なことを言ってもしょうがないと思うんです。「責任者がミスしたらまず謝罪、そして解雇」なら、大分のフロントは、まったくミスをしない完璧超人しか務まりません。ミスはするかもしれないけど、もうちょと信じてあげようよ、という気持ちなんですね。今現在は。
でもこの記事全体には賛同しかねる、と。
まずいろんなとこで言われていますが、映画を例えに出して批判している部分。確かに「映画とサッカー」で比較すれば、同じ興行として語れるかもしれませんが、残念ながら僕たちは「サッカー」を見に行っているわけではなく「大分トリニータ」を見にいっているのです。まず原田亜紀夫記者はここを履き違えていますね。「所詮大分に飛ばされてきて、たまたまトリニータの担当になった新聞記者っす。毎試合社用車で競技場の横にベタ付けして、取材パスでメインスタンドの一等地で試合観戦してサーセンwww」と、行間での的確な自己紹介、ありがとうございます。
入場料とは興行の対価と同時に、チームを応援したいという気持ちの表れです。その金が選手の、チームの血肉になると信じて払う金です。だからこそ、アウェーで0-5で負けた上にホームで0-4で負けようが、次の試合も金を払って見に行くんです。「それでも見に行く」という気持ちを「行ったお前が悪い」と非難する記者しかいないとは、天下のクオリティーペーパーも地に落ちたものです。
次に
しかし、フロントの「つるし上げ」を生き甲斐にしているような、はき違えたサポーターも実際にはいる。頭を下げさせ、「どうだ、オレが言ってやった」とばかり、いい気になっている。
それは、チームへの「愛の裏返し」とは、とうてい思えず、模範的な応援を繰り広げたサポーター全体の質も下げる。
の部分。
確かに「俺が言ってやった」と悦に入る人もいるかたかもしれません。では、なぜ「その人が言ってやらないと、と思うに至ったのか」という視点が落ちているように思います。そもそも、原田亜紀夫記者はこういった、声を大にして騒ぐサポに「愛はない」と言っています。
愛が無いのに試合を見に来ている人だと。
要はこの人はただ騒いでチームを貶めるためだけに毎試合金を払ってゴール裏で大声上げて、なおかつ休日をわざわざ使ってサポカンに参加していると。
そんな暇なやつが実在するんですか?。
鳥日にとっては、「行過ぎた愛情表現」としか取れない行為も、原田亜紀夫記者の目から見ると金にならない総会屋になるそうです。さすがジャーナリスト宣言をして全国民に「じゃあ今まではジャーナリスじゃなかったんだ。やっぱり。」と思わせたクオリティーペーパー。クオリティ高すぎます。
だいたい「模範的な応援」の定義って何? 模範的な新聞記者の定義なら「真実をありのままに報道する」だってじっちゃが言ってたけど。
と、いろいろ書きましたが、原田亜紀夫記者が言いたいことは、「チームを応援する事がフロントを追い込むことなのか? それがチームのためになるのか?」という事だとは思います。
それは鳥日も全面的に賛成です。
ただ、だからといって、「好き好んできたんだから文句言うな」「負け試合が見たくないなら観戦に来るな」というのはどうでしょう。そして、「座り込みなんかするな。試合終わったらすぐ帰れ」と言わんばかりの興行論。サポーターが自分たちの意見を伝えるための抗議活動すら許されないのなら、どこで自分達の意見を伝えればいいのか。「その意見は興行の結果として出すべきだ。見に行かなければいい」と言うのなら、その後、そのチームはどうなってしまうのか?
「大きな責任を感じています。ですが、皆さん見捨てずに応援していただければと思います」
原強化部長が絞り出すように発した言葉を一番理解していないのは、自分の気持ちだけ先走った、
一部の人を批判するつもりが、サポ全員を敵にまわすような記事を書いてしまった原田亜紀夫記者、あなたではないですか?