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2007年01月 アーカイブ

2007年01月15日

新年あけましておめでとうございます

いまさらですが新年あけましておめでとうございます。

昨年のJ2最終戦以来、パッタリと更新が止まってしまった鳥日新聞ですが、皆様のご想像通り、ゼルダトワプリ>ゼルダ神々のトライフォース(バーチャルコンソール)>SDガンダムスカッドハンマーズと、滞りなくゲーム三昧の日々を過ごしておりました
すでにWiiリモコンは4本完備。ヌンチャクも2セット。クラシックコントローラーは当然のこと1GSDカードも購入し、あとはゲームキューブコントローラーをゲットすればWii役満完成です。
(本体+初めてのWii(リモコン&ソフトで2飜)+追加リモコン2本+追加ヌンチャク+クラシックコントローラー+SDカード+ゼルダ+SDガンダム+Wiiスポ+ゼルダ神々+ゲームキューブコントローラーで13飜)

いやーWiiって本当に楽しいですね。

と、鳥日がこの世ではないどこかへ旅立っている間に、我らがトリニータにも大きな動きがありました。

■お疲れさま、エジおいさん、トゥーリオ!!
大分を大分たらしめていたダブルボランチがこぞって退団してしまいました…。トゥーリオ(ベリー禿げてない)は家庭の事情があるのでいたしかたないとは思いますが、エジおいさんまで退団とは…。森重、川田の成長に期待したいのですが…。森重はともかく、川田はとても不安です。ここはシャムマジックにより、びっくり夢生のルーキーイヤー大活躍を夢想したいと思います。

■ウッチー愛媛FCにレンタル移籍
大分が誇る快速ドリブラー、内村"いいからシュート打てよ"圭宏がJ2の愛媛にレンタルされる事が決まりました。愛媛FCといえば、大分からの移籍選手も多いなじみ深いチーム。広島を頂点に、大分、愛媛が形成するトライアングル、別名瀬戸内互助会は、これからも末永く続いてほしい関係です。濱岡の退団は残念でしたが、ウッチーには彼以上に愛される活躍を期待したいと思います!

■宮沢正史、FC東京から加入
エジおいさん、トゥーリオに変わる即戦力ボランチとして獲得されたのが宮沢。FC東京一筋だった彼も活躍の場を求めて移籍してきました。正直、FC東京的にはものすごく痛い、そして大分的には願ったりかなったりの移籍だったのではないでしょうか? 鳥日はとても期待しています。

■清武君、U-18日本代表に選出!
大分ユースの期待の星といえば清武君。その彼がU-18日本代表に選ばれましたヽ(´ー`)ノ。
オーストラリアユースオリンピックフェスティバルという、適当につけたとしか思えない名称の大会ですが、頑張ってきてください。

■新戦力続々
G大阪ユースから池田達哉、夢生と同じく滝二から清水圭介、早稲田大から松橋弟、ブラジルからセルジーニョと新加入の選手も決まっています。しかしそれ以上に契約更新が終わってない選手が気になるのが正直なところです。

■司キュンの動向
もっとも気になるのがこれです。スポーツ放置にはグルノーブル決定と出ましたが、そこは放置、飛ばし記事の可能性も大です。事実他のメディアの移籍報道はありませんしね。スポーツマンNo.1決定戦では筋肉以上にキャラクターとしての愛らしい魅力を振りまき、日本代表イケメンランキングでは見事2位を獲得(やべっちFC調べ)した逸材を、そうそう手放す事はないと信じたいところです。つか、絶対Jで活躍した方が成長するって! もう司キュンでハアハアできないなんて辛すぎます! 頼むから残留してくれ! 

2007年01月19日

レボリューション

モーニングに連載されていた「大使閣下の料理人」の原作者でもあり、料理人でもある西村ミツルさんのブログに、見慣れた名前の人の名(迷)言が載っていました。

溝畑 宏(大分FC社長)

革命はひとりからでも始まる。
情熱的で馬鹿になれる奴がいれば
山は動く。


動いた結果
  ↓
  ↓

大分がセリエCクラブを買収へ

数年前からイタリア在住の代理人を通じて情報を集め、欧州でのクラブ経営を研究している。過去にはセリエC1のピストイエーゼに選手を派遣し、同行した強化部スタッフが経営を学んだ。今後は若手育成や地域貢献など大分のスタイルに適合したクラブに絞り込み、経営権獲得の方策を探ることになりそうだ。

動きすぎだ!

社長!社長!おっしゃることは素晴らしいですが、足下を見てください!
革命はひとりからでも始まるかもしれませんが、それにつきあわされる民衆(サポ)の気持ちも考えてください!

シャムスカ大佐3年王国の期間を使って、足下を確実に固めるのが大分の選ぶ道だと、誰か社長に正直に言ってあげて!そうすればきっと女神様がこう言ってくれるって!





syoujiki_mizohata.gif


…ごめん、やっぱ無理。

清武君ユースオリンピックフェスティバルで得点!

大分FC・U-18の清武君も参加しているユースオリンピックフェスティバルですが、大会2日目を終えて、韓国が勝点6で首位、日本が勝点4の2位、オーストラリアが勝点1で3位。中国が勝点0で4位という状況です。

我らが清武君は、第1戦の中国戦こそ出場が無かったものの、第2戦のオーストラリア戦ではスタメン出場。1−1の前半のロスタイムに日本の2点目となるゴールを決めました!

日本はその後1点を加え、3−2としましたが、後半のロスタイムに失点。3−3のドローに終わりました。

20日の最終日に首位の韓国と直接対決となる日本。ぜひ勝って優勝して欲しいものです。
できれば清武君のゴールで!

ちなみに女子は順位こそ男子といっしょですが、2位の日本と3位のオーストラリアは同じ勝点3で、得失点差で日本が1上回っている状況です。

1日目(17日)の結果 ※PDF
http://olympics.com.au/ayof07/results/Football_d1_01.pdf

2日目(18日)の結果 ※PDF
http://olympics.com.au/ayof07/results/Football_d2_01.pdf

2007年01月20日

清武君先発フル出場も1−0で敗れる

大分U-18の清武君が参加しているユースオリンピックフェスティバルの最終日。日本は韓国と戦い、清武君は先発フル出場しましたが、惜しくも1−0で敗れた模様。

オーストラリアvs中国は、オーストラリアが1−0で中国に勝ち、日本と勝ち点で並びましたが、得失点差で日本が上回り、優勝韓国、二位日本、三位オーストラリア、四位中国で大会を終えました。

最終日日目(20日)の結果 ※PDF
http://olympics.com.au/ayof07/results/Football_d4_01.pdf

2007年01月22日

男・今西勇退

サンフレッチェ広島のGM、今西和男氏が今月一杯で勇退される事が発表されました。

今西 和男氏 株式会社サンフレッチェ広島 ゼネラルアドバイザー(顧問)退任のご案内

今西和男とは

広島市中心部の遊廓近く、平塚の生まれ育ち。

1963年、東洋工業サッカー部入り。強靭なディフェンダーとして、下村幸男を監督に小城得達・松本育夫らとともに活躍。1965年から創設された日本サッカーリーグの初年度から1968年までの不滅の四連覇に大きく貢献した

1966年には日本代表(当時の名称は全日本)に選出され、アジア大会に出場(3試合0得点)。
1972年、一切サッカーから離れ社業に専念、営業の現場でも優秀な成績を収めた。
1980年、サッカー指導者として現場復帰。2年間コーチを務めた後、マツダサッカークラブ(マツダSC)とチーム名が変わり、1982年からサッカー部副部長・総監督に就任。1984年から監督につき、1986年から日本リーグ1部にチームを復帰させるが、1988年再び2部に転落するとハンス・オフト監督を招聘、ディド・ハーフナーを獲得し、天皇杯準優勝、1991年1部復帰の成果を得る。

Jリーグ開幕に向け準備を進める中、親会社であるマツダが業務不振からJ参入に消極的な姿勢を取っていた。そこでチーム名に企業名が入らないことを逆手に取り、広島県内の企業にチームへ出資して貰うために走り回った。(今現在では普通だか、当時の考えでは親会社がほとんど出資するものだと考えられていた)。1992年Jリーグ創設でサンフレッチェ広島が発足すると取締役強化部長兼・総監督に就任。 Wikipediaより

今西さんといえば、大分トリニータがまだ産声を上げたばかりの頃、アドバイザーとして多大な貢献をしてくれた方です。今西さんがいなければ、大分や愛媛といった若いチームがJに上がるのは、もう少し遅れたかもしれません。チームへの助言だけでなく、山根、金本、前川、大木といった選手を送り込んでくれました。そして我らが愛すべき酔っぱらい、小林伸二監督を指導者として育ててくれたのも今西さんなのです。

今西おらずば広島はなく、今西おらずば、大分の昇格はなしと言ったら過言かもしれませんが、それほどの影響を、大分に与えてくれた人なのです。本当にお疲れさまでした。

今西さんの勇退を見送るべく、大分サポは広島に向かって最敬礼!!


ちなみに広島のマスコット、サンチェ君の彼女、フレッチェちゃんのモデルは今西さんだそうです。


フレッチェちゃん

これだけは、いかがなものか。


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22:03 追記
大分サポにはおなじみの宮明先生が書かれた大分の初期の歴史がありました。
http://www.geocities.jp/toriboranet/torirekisi.html
ここでも今西さんの大分への尽力が書かれてますね。初代監督の朴監督も今西さんの紹介だったんですねえ…。

2007年01月25日

転売厨

2転3転している司☆キュンの移籍交渉ですが、ここにきてグルノーブルがとんでもない事を言い始めました。今回の交渉の推移を時系列で見てみましょう。

【12/5】 大分トリニータ 契約更改の交渉を開始

 フランス2部・グルノーブルが興味を示している日本代表の梅崎司(19)は、年俸アップと複数年契約の延長が提示された。(略)7年2月から10年1月まで3年の複数年契約が新たに伝えられた。この日最長の40分間の交渉を終えた梅崎は「慰留されたが…」と言葉を濁しながらも、海外志望の夢は捨てきれない様子。


【12/16】 トリニータ 梅崎と交渉、進展はなし

 条件の提示は前回(4日)と同じ。今回は互いに話し合いの場が持たれた。チームを運営する大分フットボールクラブは「来季も必要な戦力として考えている」と伝えた。その上で、大分残留だけでなく海外へのレンタル移籍など複数の選択肢を示し、梅崎の意向を尊重する姿勢も見せた。
 ただグルノーブルから金額などが書かれた正式なオファーは届いておらず、交渉は停滞。同クラブから移籍金も要求しておらず、正式なオファーを早急に出すように要請している。


【1/21】 大分トリニータ クラブ側梅崎に二者択一迫る

 大分フットボールクラブの原靖強化部長は18日、梅崎に電話で告げた。「一つ目は2008年1月までの契約を満了した後、グルノーブルへ移籍する。二つ目は大分と3年の複数年契約を結び、1年か1年半でグルノーブルに期限付き移籍をする。どちらかを選んでほしい」
 近日中に代理人を交えた最終的な話し合いがされる方向。


【1/24】 梅崎、去就決まらず ”三者会談”で意向確認

 大分トリニータMF梅崎司(19)の獲得に乗り出しているフランス2部グルノーブル、大分の両トップ、梅崎の代理人による初の三者会談は23日、大分市内であった。結論は出されず、それぞれの意向を確認。いったん持ち帰って、再度交渉をすることになった。

新提案「U―20W杯後」 シーズン期間の差が鍵

 グルノーブルは「大分に残り、U―20ワールドカップ(6月30日―7月22日)を戦ったうえで、期限付き移籍をする選択はないのか」と大分側に聞いたという。(略)互いのクラブ間で戦力として考えるには、チーム編成上、シーズン途中での移籍がネックだ。
 梅崎は「あこがれの欧州で挑戦したい」と、一刻も早い移籍を希望している。遠藤代理人は「前向きの話ができた」としており、”第3の選択肢”を聞いた梅崎がどう判断するか。


【1/25】 梅崎残留か グルノーブルが難色 あす結論

 大分トリニータの原靖強化部長は24日、大分市内でMF梅崎司(19)のフランス2部グルノーブルへの移籍交渉について会見した。グルノーブル側が「期限付き移籍はメリットがない」と態度を変化させたことを明かし、大分残留の可能性も示唆した。(略)原部長はグルノーブルの田部和良GM、梅崎の遠藤貴代理人と個別に会った。23日のグルノーブル、大分、梅崎側との三者会談を受け、再度協議。グルノーブル側は当初、期限付き移籍で獲得の意向を伝えていたが、シーズン途中での期限付き移籍は「即戦力でなければ金額は出せない」と難色を示しているという。原部長は「グルノーブルは半年や1年の期限付き選手は、即戦力でないと獲得しないようだ。梅崎の移籍は『育成』の意味で話を持ってきたのではないか。大分としては安値での完全移籍は考えていない。クラブ間の話は袋小路に入った状態」と話した。


グルノーブルの意向を要約すると、来シーズン頭からなら獲ってあげていいよ。あ、お金はぜんぜん出せないから。だってうちで育てて、他チームに高値で売るために獲るんだもん。いいじゃんwヨーロッパ来たいんでしょ?ww え?レンタル?なにそれ?www。という事ですね。

さすが親会社がネット関連企業。
ヤフオクの中国人も真っ青の転売っぷりです。

司よ、こんなチームが本当にいいのか?
欧州の空気を吸えば、より高く跳べると思っているだけじゃないのか?

俺は数年後、欧州2部でベンチに座っている君なんて見たくない。
真剣に考えて結論を出してくれ。

2007年01月26日

梅崎司ワーキングホリデーでフランスへ

司☆キュンのグルノーブルへの移籍が正式発表されました。

MF 梅崎司選手 グルノーブル(フランス2部)へ期限付き移籍決定のお知らせ

下記の通り大分トリニータ所属のMF梅崎司選手がこのたびフランス2部リーグのグルノーブル(Grenoble Foot 38)に期限付き移籍することが決定致しましたのでお知らせ致します。

【梅崎司選手のコメント】
 「このたび、グルノーブルにレンタル移籍することになりました。昨年は試合に出られるようになり、A代表にも入れ、とても成長できた1年でしたが、納得できない部分も多かったと感じていました。そういう中で、このような話をいただき、自分は昔からチャレンジしてきた人生でしたし、世界のトッププレーヤーになりたいという夢もあり、ここで勝負したいと思い決断しました。大分ではユース時代から5年間は大変お世話になって、本当に成長できたと思います。これからは大分の、そして日本の誇りを持って戦っていきたいと思います。最初は半年間ですが結果を出して、もっと上に行けるように頑張っていきたいと思います。」


大分と3年契約を結んだ上での、1月31日からの5カ月契約で、完全移籍のオプション付。大分にとっては、最大限に希望が通った有利な契約だと思います。司も頑張り次第では、完全移籍もあるわけで、昨日のグルノーブルの「要は、タダでくれ」的な条件からはかなり前進した決着ではないでしょうか。今回の大分のフロントはいい仕事をしたといってもいいと思います。

今回の司の移籍騒動で一番心配だったのは、悪しき前例となるのではないか?ということでした。
最近で言えば中田コの移籍のように、欧州のチームが声をかければ、日本の選手は無条件でついてくるという前例は絶対に作ってほしくなかったのです。

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