サンフレッチェ広島のGM、今西和男氏が今月一杯で勇退される事が発表されました。
今西 和男氏 株式会社サンフレッチェ広島 ゼネラルアドバイザー(顧問)退任のご案内
今西和男とは広島市中心部の遊廓近く、平塚の生まれ育ち。
1963年、東洋工業サッカー部入り。強靭なディフェンダーとして、下村幸男を監督に小城得達・松本育夫らとともに活躍。1965年から創設された日本サッカーリーグの初年度から1968年までの不滅の四連覇に大きく貢献した
1966年には日本代表(当時の名称は全日本)に選出され、アジア大会に出場(3試合0得点)。
1972年、一切サッカーから離れ社業に専念、営業の現場でも優秀な成績を収めた。
1980年、サッカー指導者として現場復帰。2年間コーチを務めた後、マツダサッカークラブ(マツダSC)とチーム名が変わり、1982年からサッカー部副部長・総監督に就任。1984年から監督につき、1986年から日本リーグ1部にチームを復帰させるが、1988年再び2部に転落するとハンス・オフト監督を招聘、ディド・ハーフナーを獲得し、天皇杯準優勝、1991年1部復帰の成果を得る。Jリーグ開幕に向け準備を進める中、親会社であるマツダが業務不振からJ参入に消極的な姿勢を取っていた。そこでチーム名に企業名が入らないことを逆手に取り、広島県内の企業にチームへ出資して貰うために走り回った。(今現在では普通だか、当時の考えでは親会社がほとんど出資するものだと考えられていた)。1992年Jリーグ創設でサンフレッチェ広島が発足すると取締役強化部長兼・総監督に就任。 Wikipediaより
今西さんといえば、大分トリニータがまだ産声を上げたばかりの頃、アドバイザーとして多大な貢献をしてくれた方です。今西さんがいなければ、大分や愛媛といった若いチームがJに上がるのは、もう少し遅れたかもしれません。チームへの助言だけでなく、山根、金本、前川、大木といった選手を送り込んでくれました。そして我らが愛すべき酔っぱらい、小林伸二監督を指導者として育ててくれたのも今西さんなのです。
今西おらずば広島はなく、今西おらずば、大分の昇格はなしと言ったら過言かもしれませんが、それほどの影響を、大分に与えてくれた人なのです。本当にお疲れさまでした。
今西さんの勇退を見送るべく、大分サポは広島に向かって最敬礼!!
ちなみに広島のマスコット、サンチェ君の彼女、フレッチェちゃんのモデルは今西さんだそうです。
フレッチェちゃん
これだけは、いかがなものか。
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22:03 追記
大分サポにはおなじみの宮明先生が書かれた大分の初期の歴史がありました。
http://www.geocities.jp/toriboranet/torirekisi.html
ここでも今西さんの大分への尽力が書かれてますね。初代監督の朴監督も今西さんの紹介だったんですねえ…。
コメント (4)
投稿者: KIND | 2007年01月22日 21:27
投稿者: 鳥日編集部 | 2007年01月22日 21:49
投稿者: とりてん | 2007年01月22日 22:21
投稿者: S2 | 2007年01月25日 10:28